Picoti-Picota

地面に、散らばるエサ、つつけ、つつけ、ツンツンと

ピコティ・ピコタの使い方

Picoti Picotaは「ピコティ・ピコタ」と読むらしい。

ブログのネーミングを考えている時に、ニワトリにまつわる単語がないだろうかと探していて見つけた。フランス語のようだ。

トリがエサをつつく様子の擬音語のようなもの、じゃないかと思います。

 

何かが書きたくて急にはてブロを始めてしまったものの、では果たしてどんなコンセプトで書くべきなのか、ふわっとしてて定まらない。

 

ピコティ・ピコタもどういう意味なのかいつ使えばいいのかよくわからない。

まあちょうどいいかな、と思って命名してみた次第です。

 

私はSNSを使い分けている。

Facebookは、自分の写真も載せない、普段自分が何をしているかも見せない、でも時々食べ物の写真や通勤途中で見かけた動物なんかを載せて「まあ、一応生きてますよ」という感じだ。

そこに私の心や脳みそが何を思い、感じているかは見せない。

仲良し度の微妙な不特定小数の「知り合い」に見せるべき私、というのを探してつまみ出せば、その程度しか出てこないからです。

 

Twitterは、幾通りかの使い方をしてきたけれど、結局のところごく少数の、古くから私を知っていて、私のオンラインとオフラインの入り混じった人間性をある程度わかった人にのみ、ごく個人的なことをつぶやいている。

ここは少し居心地がいい。

 

あとは、やってない。やってたけどすぐ飽きた。長くやっていたけど潮時を感じてやめた。

特にインスタグラムは、写真を掲載するためのツール、というのが全然なじめなかった。

 

結局私はただずらずらとテキストを打つことが好きで、そこにはくだらないことも、隣で聞いていたら気が滅入るようなことも、人間性を疑われるような愚かなことも、俗っぽいことも、愛についても、重いの軽いの合わせて書きたい。

 

いつぞや数年間続けていたブログはそこそこうまくいっていたと思う。

時々起こるずっしりとした重い気分もそこに吐き出したし、恋人できちゃった♡みたいな浮かれ話も、別れた報告も、体のことも仕事のことも、深く考えずに書けた。

だけど、その当時の恋人と別れたせいで、彼との出来事をつづった少なくない数の記事に嫌気がさして、削除してしまった。

別れたことに後悔はなかったが、ブログに嫌悪感を感じたことはあいつのせいだ、とむかついている。

 

ブログって不思議なものだね。

これというコンセプトやテーマ、あるいはアフィリエイトで稼ぐぞ、みたいな目標があればまだしも、金にもならないただ自分の思考を書くだけの人も、いまだに少なく無いと思う。

それこそチラシの裏に書いとけよ、というもの、知り合いには知られたくないけど誰かに聞いてほしいこと、その行為に意味を見出せない文字打ち。

私はなぜだかそれが好きで、しばらくやめていてもまたこうして戻ってきてしまう。

 

声にならなかった、自分の足元に落ちているたくさんの瑣末な思いを、ひとつひとつ拾い集める。

10本の指はキーボードの上に踊り、それらをただ漫然と、画面に叩きだしていく。

ピコティ・ピコタ、と音を立てて。