Picoti-Picota

地面に、散らばるエサ、つつけ、つつけ、ツンツンと

ことだま

昔、すごくつまらない冗談を友達に言ったことがあった。

 

「私、長く生きられないんだよね」

 

理由はない。あるとしたら、その友人に対してのちょっとした怒り、苛立ちだったのかもしれない。

彼女は、学生時代の友人だった。学科のジャンル的に女子が極めて少ないクラスだったので、4〜5人の仲間のうちのひとりとしてそれなりにうまくやってきた。

けれど、私は彼女がどうにも好きになれなかった。

お金が好きで、ずる賢くて、自分を守る嘘を平気でつくし、バレても悪びれない。いつも恋をしていて、成就のためには誰だって利用する。だけど友人には優しく、生活費をキツいアルバイトでせっせと稼ぐ、どこか憎めない人だった。

それをわかってなお、私が一番イヤだったのは、いつも「具合悪い」と言っていたことだった。

いるじゃないですか、常に具合が悪い不調女子。

根本的解決方法はあるけれどそれはやらず、ただひたすら自分の不調を周囲に撒き散らす人。

私はそれが気に入らなかった。

 

自分が具合悪い、ということはすなわち命の危険とほぼイコールであること。

それが私の幼い頃からの常識だった。

具合が悪くなると、親が心配する。学校を早退する。病院へ行く。場合によっては入院する。最悪死んでしまう。

だから私は、具合悪いという言葉を発するのがイヤで、自分のどこが痛いというのもイヤだった。たとえ生理痛だろうが涼しい顔をして体育に出る。

 

だから友人が毎日のように眠い、具合悪い、調子悪い、と連呼して周囲に気を使わせている身勝手さが我慢ならない時があったのだと思う。

ねえ、気軽に「具合悪い」って言えることがどれだけ幸せなことかわかってる?

 

私はそう言いたかったのかもしれない。

今思えば、友人に感じた身勝手さは私も同じように振る舞えたらいいのに、という嫉妬があったのかもしれない。

そんな彼女に、ある時言ってしまった。

「私、長く生きられないんだよね」

 

「え?」

と言った時の彼女の顔に、私は少し驚いた。

「ほんとうに?」

顔がこわばり、目が見開かれ、ショックを受けているのがわかった。

言ったことをすぐに後悔した。

「ごめん、うそ、冗談。死なない」

すぐに発言を撤回して、あやまった。

「なあんだ、よかった。びっくりした」

彼女はホッとした顔をした。ああそうだ、この人は、やさしい子だった。

息をするように嘘をついて人を利用するけれど、本人はそれを自覚しない、やさしい人なのだ。

だから友達が死んじゃう、と聞かされれば本気で驚いてしまう。

自分は馬鹿だな、と思った。

 

その会話を近くで聞いていた別の友人が、少したってから私に言った。

「たちの悪い冗談、言っちゃだめだよ」

正しい言葉だったので、言い返せない。

だけど、だけど、と思った。

 

ほんとうなのに。

 

少なくとも、可能性としては、ほんとうなのにな。

重大な疾患を持っているようにはみえないので仕方ないと思う。

でも私は、二度ばかり三途の川を覗きこんできたし、これからもそういうことがあるだろう。

それを、たしなめてきた友人に言い訳するほどの馬鹿ではなかったけれど、なんだか悔しかった。

自分で招いた結果とわかっているけど、私だって弱い部分を抱えた泥臭い人間だ。

健康な人間が羨ましい、妬ましい。

時には悲劇のヒロインにもなってみたい。

そういう愚かな面を、人に見せてはいけないのだ、と抑えつけられた気がしてしまった。

正論をいう人は、時に残酷だ。

 

とまあ、それがまだ20歳になるやならずやの頃の話。

 

25歳で私は別の病気に倒れ「30歳まで生きられないかもしれない」と病院で言われた。

学生の頃のくだらない冗談を思い出した。

ああ、自分で言うもんじゃないよな、と思った。

言霊はある、と私は思う。

そして言霊の効力は、いつ発動するかわからない。

その言霊の呪いを断ち切るには、さらに強い言霊を用いるしかない。

 

「死ぬ気がしない」

 

言い続けて、私は今年36歳になった。

別のものを犠牲にして、私は命を得ている。