Picoti-Picota

地面に、散らばるエサ、つつけ、つつけ、ツンツンと

隣におけるもの

私の言葉ではないのだけど、先日Twitterで「結婚がしたいのか恋愛がしたいのか、ではなく大丈夫になりたかった」

といった内容のツイートを見かけた。

人の言葉がストンと落ちる瞬間はとても気持ちがよく、ああよくぞその言葉を見つけてくださいました、と思った。

 

「だから私は大丈夫」といえる基盤がほしいのはきっと誰でも同じで、それが人であれ物事であれ思想であれ、自分という存在の隣にトンと並べておいて寄りかかれるもの。

私にはそれがないのだな、とわかった。

 

人が、その「大丈夫になれるもの」の実体が見えず、何かが足りないことを自覚しているとき、一番近い感情が「さみしい」とか「不安」なんだろう。

そしてさみしいや不安を埋めるのは、多くの場合人であって、それを手に入れるには子どもなら母親の胸にでも飛び込んで指をしゃぶって眠ればいいけれど、大人はなかなかむずかしい。

 

だから、隣に人を置きたいと思った時には、とりあえず恋愛とか結婚とかいう目印が必要な気がしてくる。

 

明確にさみしさを感じたわけじゃないんだけど、人生で一度ぐらいは結婚というものを考えてみるのもいいのかもしれない、と考えた。

それで、手っ取り早く結婚相談所のようなところに駆け込んで、登録した。

半年ほどお見合いをがまんしてやってみたけれど、向いてないや、という結論にいたった。

 

相手の男性がどうだとかあれこれ言うのも野暮ではあるが、明らかにみんな高望みをしているんだ、と気づいた。もちろん自分も含めて。

金か顔か年齢か、望むところは人それぞれだろうけど、「自分の相手はこんなもんじゃない」という意識じゃ、何もうまくはいかないな。

飛んでくるボールは無視、自分の持つボールは貴重品と思っていつまでも大事に撫でているだけ。

そんな感じのお見合いばかりだった。

 

うすうす感じていたけど、どうも自分は「結婚」がしたいのではないらしい。

そして、全てではないにせよこれまで会って話した人数の統計的にみて、クズが多い。

あと5歳10歳、私が若ければ少し違う世界が見えたかもしれないが、30代も後半に乗り出した私に結婚相談所が持ってくるのは40歳オーバーの独身をこじらせた精神的不細工ばかりだった。

 

もちろんシステムとして能動的に相手を探しコンタクトを取ることはできたけれど、常識的に対応するのがばかばかしくなるほど、礼儀を踏みにじられた。

とある地方の県内にしぼった限りではあるけど、ろくなやつがいない。

・・・と、相手を責めても仕方がないので、私が結婚相手を探す男性として、私を見た時に何を感じるのかを考えてみた。

 

ああ、わかりました。

悪いのはあなたたちではない。

35歳を超えて婚活にいそしみ、まだ子どもが産める今のうちに!と血眼になって結婚相手をあさっている私が、「お呼びでない」と思われているのだ。

そういう年齢なのだ、私は。

仮に「ちがいますよ!」と言っても無駄だし、言えるすべはないし。

そう考えた時、あほらしい、やめやめ。と思った。

 

では私はなにを欲していたんだろうか。

結婚の先になにを見出したかったんだろうか。

やっぱり恋愛でいい、と思ってるんだろうか。

 

私が欲しかったのは、子どもではなく将来の安定でもなく経済力でもなく、ただ「この人がいるから大丈夫」と思える相手だった。

それは少しの妥協や責任という重りをポケットにいれて、地に足をつけて隣に立ってくれるような人だった。

冷めたら燃えカスになって風で吹き飛ぶ恋人ではない。

 

だけどそんな存在って、探して見つかるものじゃないよね。

もっとも難しい存在だ。

 

そういう存在を考えたときにふと頭に浮かぶ人がいる。

ただ人としてそばにいるだけでいつも救われた人だった。

もし私がもう少し早く生まれていて、同等の立場でものごとを考えあえたなら、きっとすごくいいパートナーになれていただろうなという人。

だけどその人と私は少し年が離れすぎていて、その人は私を宝物のようにかわいがって、言葉を尊重し、時に賞賛しうなずいてくれるけれど、同じステージにはひっぱってもらえなかった。

一度だけ、その人が私に心を打ち明けた時があった。

どれほど私の存在が大きいのか、いなくなってさみしいのか。

でも私は怖くて、そうじゃないんだよ、と思って、笑ってはぐらかしちゃったんだね。

はぐらかさずに、きちんと伝えたらよかった。

守られたり愛されたりではなくて、私はあなたと同じところで戦いたいんだと。

私のはぐらかしを、その人は違う意味に取って、大人として距離をとった。

 

人生はまちがいばかりだ。道をまちがえるのが人生なのか。

右を見ても左を見ても、まだまだ大丈夫にはなれない。